こんばんは。今日は「ゆとり」について考える機会がありました。忙しい日々の中で、どうしても忘れがちな“譲り合いの心”ですが、この小さな気持ちがゆとりある社会の第一歩ではないでしょうか?通勤中に起きた、少しモヤモヤしたエピソードから、日常の中で感じたことをシェアしたいと思います。
通勤中に気づいた譲り合いの大切さ
私の通勤路には、すれ違いがギリギリできる狭い道があります。普段は互いに気を配りながら、十字路や広めの場所で譲り合うことが多いです。しかし、今日の朝は少し違いました。対向車の方が少し急いでいたのか、いつもなら譲り合う十字路をそのまま通り過ぎてきたのです。
結果、細い道の真ん中で鉢合わせしてしまいました。車が動けない状況に、私は少し不安を感じつつも、**「少しだけ下がってくれないかな…」**と思いました。しかし、相手は待つ様子もなくその場に静止。しばらくしてから、結局私がバックすることになりました。
ほんの少しの譲り合いがもたらす「ゆとり」
今回の通勤中の出来事を通じて感じたのは、「ちょっとした譲り合いの大切さ」です。ほんの少しの譲り合いで、心にゆとりを持つことができ、スムーズにお互いが気持ちよく移動できる。
この日常の中の小さな気遣いが、私たちの暮らしをより豊かにしてくれるのだと改めて感じました。
今回も、もし相手が少しバックしてくれていたなら、私も「ありがとう」と心から感謝できたはず。自分が相手にゆとりを持てば、自然とそのゆとりが周囲にも伝わっていくのではないでしょうか?
ゆとりある社会を目指して、私たちにできること
「ゆとりある社会」をつくるために必要なのは、小さな譲り合いや気遣いを日常で少しずつ心がけることだと思います。日常の何気ない瞬間に、譲り合いの心を持つことで、誰もが気持ちよく過ごせる空間が生まれます。
忙しさに追われると、つい「自分だけが」と急いでしまうこともありますが、少し立ち止まり、周りに目を向ける余裕を持つことで、もっと心地よい社会ができるのかもしれません。
私自身も、今日の出来事を通して「ゆとり」の大切さを再認識しました。
まとめ:日々の譲り合いがもたらす心のゆとり
今回は通勤中の小さな体験を通じて、ゆとりある社会をつくるための第一歩として、譲り合いの心を大切にすることの意義を感じました。
ほんの少しの譲り合いが、誰もが気持ちよく過ごせる社会をつくるための基礎になると思います。
私たちができることは小さいかもしれませんが、それを積み重ねることで、日常の中でのゆとりが少しずつ広がっていくことを願っています。